ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは。
とんとご無沙汰してまして、楽しみにしてくれる方々にはほんとにすみません。
ちゃんと稽古を重ねる毎日ですのでお楽しみにっす。
セリフを言うのは楽しい。
これさえあれば生涯、役者を名乗っていいのだろう。
役者を始めた一番最初の時の話。
今はもうない劇団の稽古で、発声練習や肉練をして
体が温まったところでテキストを読むことになった。
誰かの前で台本を読む。
僕はすごく恥ずかしかった。
何が恥ずかしいって、普段絶対言わないようなことを
情感豊かにだったり、当然っすみたいな顔で言うということを、
僕が受け入れられないことが。
同時に変な喜びもあったんだけど、
それが演出家の意に沿うと、いいねいいねって褒められる。
そうなるとなんか嬉しくなる。
あ、もっと情感豊かにしようとか
空の青さを言葉に託して言ってみようとか
オマエのことほんとは後々おとしめる予定だけど、
今オマエの目にはかけがえのない存在に映るようにしようとか。
そんなことを延々繰り返しながら芝居を続け、
あいかわらずそれは楽しくもあり、
相反する恥ずかしいことの親友であり続ける。
テキストがある。
テキストはこのブログのように誰の目に見ても全く同じ情報として受け取ることができる。
それを人が発話するのが面白い。
声帯が違う。間が違う。解釈が違う。
同じテキストでも同じ言い方は存在しない。
僕はメソッドというものを受けたことがないから
全く同じになるやり方が存在するとは思っていない。
誰かの真似であっても、そのものではない。
だからなんなんだ、えっと、メソッドが前に出るのはお門違いで
人間が前に出てるのが好きです。
まあいいや。
そんで人がセリフを言う。
セリフを言う人を見ると、いろんな表情があり
状態があり、日常じゃないという嘘がある。
芝居はこんなふうに簡単にできていると思う。
というか僕が面白いと思うのは、このくらい単純なことなのだろうか。
最近キーボードで入力した文字を翻訳して
音声化するという機能を持ったアプリやサイトがある。
日本語を文字入力してハングルで音声化したり。
もちろん日本語化も。
そしてこれ、音声化のスピードや声の高さを調節したりはできるのだけど
どこまで読んでも機械的なのである。
今後開発が進み、より人間らしく発話してくれるようになるのだろう。
そうなればなるほどじゃあ僕らはどのように発話していくのだろうと考えた。
機械の持つ「一秒の間」と
人間の持つ「一秒の間」が永遠に違い続けるように
今のセリフ霧吹きで2,3回濡らしたみたいな言い方にしてみようって
なんかそういう、機械に出せない面白さを僕らはできるんじゃないかって。
田田田
2014年8月28日木曜日
2014年8月3日日曜日
9月の9日から!
ポニーズブログをご覧の皆様こんばんは。
さて次回公演、自慢のトモダチの稽古が始まります。
これは僕、田中の大学時代の稀有な体験談をもとにして作られます。
暗黒時代と称される僕の大学時代のことを思い出してみます。
母校は鹿児島にある工業大学で、授業中居眠りして目が覚めると
机に灰が軽く積もってるような野趣あふれるところでした。
そんな大学での一番の思い出は、原付の免許を初めてとって
ホンダのモトラっていう戦車みたいなバイクを買って
わーって乗り回していたことです。
あまりに嬉しくって、夏休みはバイクで島根に帰って
トモダチに見せびらかしちゃろうってことに勝手になりました。
そんで夏休みになって意気揚々と田舎に帰ります。
鹿児島から島根に行くには何度も峠越えをしなければいけないのですが
最初の峠である霧島神宮の手前でバイクが全く動かなくなりました。
ふもとから坂道を上ってきたので、ふたたびふもとの町までバイクで下りてって
バイク屋に行ったら、パーツがないので取り寄せに1週間かかると言われ、
バイクでの帰郷を断念しました。
しかし猛烈に田舎に帰りたい僕は、すぐさま自転車で帰ることにしました。
この自転車は変速ギアなしのママチャリで
数時間前に上り、そして下ったこの道をゼハーゼハーとまた上ります。
シャカリキって自転車レースの漫画があって僕大好きで
気分はそんな感じなんですけど、もうチャリがママのあれなんで。
山道とか上っちゃだめなんですよ、そんな自転車で。
僕は仁王みたいな形相で、動力がうまく伝わらないマシンにイライラしながら
霧島神宮行くまでに何度も何度も足つって、
何度も何度も帰りたいって思いました。ふもとの町に。
加えてこの日は台風が接近してて、霧島神宮越えたあたりから
猛烈な風が吹き始め、宮崎県に入ったころには洪水警報出てて、
全身も荷物もずぶ濡れて、心ポッキリ折れてホテルに泊まって寝ました。
次の日は台風が過ぎて酷暑になりました。
炎天下の宮崎をひたすら北上します。
知らない土地で食べるご飯はとてもおいしいものですが、
コンビニで買ったおにぎりのうまかったこと!
ガイド本で紹介されたおいしいものをたべることで
おいしいと満たされるのはもちろんですが、
健全に腹が減るとどんなごはんでもうまいんですね。
さてこの日の目的地は大分の別府です。
帰り道として僕が選んだのは
鹿児島→宮崎→大分→フェリー→広島→島根というルートです。
なので別府まで行きます。
この日はほんとに暑い日で、上半身裸で何百キロと走って、
まあ実際には100キロくらいですか。
そんで走ってる時には気づきもしませんでしたが、
日焼けして背中に軽度の火傷を負ってて
生涯消えることのないシミを作ってしまった上に
体が痛くて痛くて別府温泉に入ることができず
別府の水道水を体にかけまくって寝ました。
翌朝広島着の最初のフェリーに乗り込みます。
大人一枚、自転車一台の料金です。
フェリーって大部屋と個室があるのですが
とにかくもう背中が痛くて床に背中を着けないので
部屋にいることをやめて
展望デッキで九州とか四国とか山陽の遠景を眺めるわけです。
他力で移動することがこんなに楽なものなのかと
しばし回顧に耽っていました。
広島の港に着いて、広島は幼いころから何度もやってきていたので
自分の田舎でもないのに、帰ってきた感のすごいこと。
知らないおじさんも、昔会ったことがあるような親しみが感じられて、
実際は誰とも会話することなく、
広島駅そばのビジネスホテルで寝ました。
最終日。今日で島根に着く予定です。
中国山地をママチャリで越えるのかと思うと
毛髪が抜けるような心地でした。
自転車で帰郷し始めて、日に何度も後悔するのですが
この日の朝も例に漏れず後悔して、いよいよペダルをこぎ始めます。
僕は短距離走よりも長距離走のほうが得意だから
こんなことになってるのかと思いましたが
それとは全然関係のないところでゴールを目指しています。
親の仇みたいな形相でゼハーゼハーと
4、5時間走ったところ、島根と広島の県境くらいで
見覚えのある車が一台反対車線を走っていきました。
その車はUターンして僕の後ろにやってきて止まりました。
中から出てきたのはうちの親でした。
何してんの!って聞いたら、自転車で帰ってくるって聞いたから
なんとなく広島に向かってみたというのです。
そういえば親に自転車で帰ると伝えていましたが
まさか来るとは思ってませんでした。よく見つけたな。
渡りに船で僕は車に自転車を積み込んで、
乗り込んでそのまま車で帰りました。
結局最後まで自転車で帰ることはなかったのですが
そもそもフェリーに乗ってる時点で自力云々は崩壊してたので
お父さんお母さんありがとうの夏でした。
さて次回公演、自慢のトモダチの稽古が始まります。
これは僕、田中の大学時代の稀有な体験談をもとにして作られます。
暗黒時代と称される僕の大学時代のことを思い出してみます。
母校は鹿児島にある工業大学で、授業中居眠りして目が覚めると
机に灰が軽く積もってるような野趣あふれるところでした。
そんな大学での一番の思い出は、原付の免許を初めてとって
ホンダのモトラっていう戦車みたいなバイクを買って
わーって乗り回していたことです。
あまりに嬉しくって、夏休みはバイクで島根に帰って
トモダチに見せびらかしちゃろうってことに勝手になりました。
そんで夏休みになって意気揚々と田舎に帰ります。
鹿児島から島根に行くには何度も峠越えをしなければいけないのですが
最初の峠である霧島神宮の手前でバイクが全く動かなくなりました。
ふもとから坂道を上ってきたので、ふたたびふもとの町までバイクで下りてって
バイク屋に行ったら、パーツがないので取り寄せに1週間かかると言われ、
バイクでの帰郷を断念しました。
しかし猛烈に田舎に帰りたい僕は、すぐさま自転車で帰ることにしました。
この自転車は変速ギアなしのママチャリで
数時間前に上り、そして下ったこの道をゼハーゼハーとまた上ります。
シャカリキって自転車レースの漫画があって僕大好きで
気分はそんな感じなんですけど、もうチャリがママのあれなんで。
山道とか上っちゃだめなんですよ、そんな自転車で。
僕は仁王みたいな形相で、動力がうまく伝わらないマシンにイライラしながら
霧島神宮行くまでに何度も何度も足つって、
何度も何度も帰りたいって思いました。ふもとの町に。
加えてこの日は台風が接近してて、霧島神宮越えたあたりから
猛烈な風が吹き始め、宮崎県に入ったころには洪水警報出てて、
全身も荷物もずぶ濡れて、心ポッキリ折れてホテルに泊まって寝ました。
次の日は台風が過ぎて酷暑になりました。
炎天下の宮崎をひたすら北上します。
知らない土地で食べるご飯はとてもおいしいものですが、
コンビニで買ったおにぎりのうまかったこと!
ガイド本で紹介されたおいしいものをたべることで
おいしいと満たされるのはもちろんですが、
健全に腹が減るとどんなごはんでもうまいんですね。
さてこの日の目的地は大分の別府です。
帰り道として僕が選んだのは
鹿児島→宮崎→大分→フェリー→広島→島根というルートです。
なので別府まで行きます。
この日はほんとに暑い日で、上半身裸で何百キロと走って、
まあ実際には100キロくらいですか。
そんで走ってる時には気づきもしませんでしたが、
日焼けして背中に軽度の火傷を負ってて
生涯消えることのないシミを作ってしまった上に
体が痛くて痛くて別府温泉に入ることができず
別府の水道水を体にかけまくって寝ました。
翌朝広島着の最初のフェリーに乗り込みます。
大人一枚、自転車一台の料金です。
フェリーって大部屋と個室があるのですが
とにかくもう背中が痛くて床に背中を着けないので
部屋にいることをやめて
展望デッキで九州とか四国とか山陽の遠景を眺めるわけです。
他力で移動することがこんなに楽なものなのかと
しばし回顧に耽っていました。
広島の港に着いて、広島は幼いころから何度もやってきていたので
自分の田舎でもないのに、帰ってきた感のすごいこと。
知らないおじさんも、昔会ったことがあるような親しみが感じられて、
実際は誰とも会話することなく、
広島駅そばのビジネスホテルで寝ました。
最終日。今日で島根に着く予定です。
中国山地をママチャリで越えるのかと思うと
毛髪が抜けるような心地でした。
自転車で帰郷し始めて、日に何度も後悔するのですが
この日の朝も例に漏れず後悔して、いよいよペダルをこぎ始めます。
僕は短距離走よりも長距離走のほうが得意だから
こんなことになってるのかと思いましたが
それとは全然関係のないところでゴールを目指しています。
親の仇みたいな形相でゼハーゼハーと
4、5時間走ったところ、島根と広島の県境くらいで
見覚えのある車が一台反対車線を走っていきました。
その車はUターンして僕の後ろにやってきて止まりました。
中から出てきたのはうちの親でした。
何してんの!って聞いたら、自転車で帰ってくるって聞いたから
なんとなく広島に向かってみたというのです。
そういえば親に自転車で帰ると伝えていましたが
まさか来るとは思ってませんでした。よく見つけたな。
渡りに船で僕は車に自転車を積み込んで、
乗り込んでそのまま車で帰りました。
結局最後まで自転車で帰ることはなかったのですが
そもそもフェリーに乗ってる時点で自力云々は崩壊してたので
お父さんお母さんありがとうの夏でした。
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