2014年8月28日木曜日

言語化

ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは。
とんとご無沙汰してまして、楽しみにしてくれる方々にはほんとにすみません。
ちゃんと稽古を重ねる毎日ですのでお楽しみにっす。

セリフを言うのは楽しい。
これさえあれば生涯、役者を名乗っていいのだろう。

役者を始めた一番最初の時の話。
今はもうない劇団の稽古で、発声練習や肉練をして
体が温まったところでテキストを読むことになった。
誰かの前で台本を読む。
僕はすごく恥ずかしかった。
何が恥ずかしいって、普段絶対言わないようなことを
情感豊かにだったり、当然っすみたいな顔で言うということを、
僕が受け入れられないことが。
同時に変な喜びもあったんだけど、
それが演出家の意に沿うと、いいねいいねって褒められる。
そうなるとなんか嬉しくなる。
あ、もっと情感豊かにしようとか
空の青さを言葉に託して言ってみようとか
オマエのことほんとは後々おとしめる予定だけど、
今オマエの目にはかけがえのない存在に映るようにしようとか。
そんなことを延々繰り返しながら芝居を続け、
あいかわらずそれは楽しくもあり、
相反する恥ずかしいことの親友であり続ける。

テキストがある。
テキストはこのブログのように誰の目に見ても全く同じ情報として受け取ることができる。
それを人が発話するのが面白い。
声帯が違う。間が違う。解釈が違う。
同じテキストでも同じ言い方は存在しない。
僕はメソッドというものを受けたことがないから
全く同じになるやり方が存在するとは思っていない。
誰かの真似であっても、そのものではない。
だからなんなんだ、えっと、メソッドが前に出るのはお門違いで
人間が前に出てるのが好きです。
まあいいや。

そんで人がセリフを言う。
セリフを言う人を見ると、いろんな表情があり
状態があり、日常じゃないという嘘がある。
芝居はこんなふうに簡単にできていると思う。
というか僕が面白いと思うのは、このくらい単純なことなのだろうか。

最近キーボードで入力した文字を翻訳して
音声化するという機能を持ったアプリやサイトがある。
日本語を文字入力してハングルで音声化したり。
もちろん日本語化も。
そしてこれ、音声化のスピードや声の高さを調節したりはできるのだけど
どこまで読んでも機械的なのである。
今後開発が進み、より人間らしく発話してくれるようになるのだろう。
そうなればなるほどじゃあ僕らはどのように発話していくのだろうと考えた。
機械の持つ「一秒の間」と
人間の持つ「一秒の間」が永遠に違い続けるように
今のセリフ霧吹きで2,3回濡らしたみたいな言い方にしてみようって
なんかそういう、機械に出せない面白さを僕らはできるんじゃないかって。
田田田

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