2014年12月10日水曜日

下北沢演劇祭結団式

ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは。
今日は下北沢演劇祭の結団式というものがあったので、
ポニーズとして参加してきました。

今年で25回目だそうです、下北沢演劇祭。
由緒ある演劇祭に参加させていただき、ありがとうございます。
一昨年にボイジャー先生でこの結団式に参加した時には
みぞぐちと佳世ちゃんと哲さんがいて
各劇団一言ずつ挨拶をお願いしますということで
こりゃあ僕が挨拶しなきゃと思いましたが
僕、普段町工場で働いてる職人で
一日のうち誰とも喋らないこともあるような現場の者が
30劇団くらいの団体の前でとても急に話せないと思い
結団式には寿司とビールが振る舞われるのですが
普段全く飲めないビールをスピーチの前に3.4杯飲んで
自分でも何を言ってるかわからないスピーチを温かく
見守っていただいたものでした。

今日の結団式にはメンバーが外部公演の稽古で
ことごとく参加できない中、林さんと二人で参加予定でした。
林さんは8割くらい今日の結団式のことを忘れているだろうなと
昼にメールをしたら、案の定忘れて予定を入れていて
不参加を快く了承しましたが、内心ゾッとしていました。

これはまずいことになったゾと
仕事中にあわててスピーチの文章を書き
仕事が終わるやいなや下北沢目指し、開場時間に間に合わないと
高速に乗ってバイクをぶっとばして下北沢に着きました。
会場であるタウンホールの12階に行きますと広大な空間がありました。
中に入ると誰もいなかったのですが、
僕は開場時間を間違えて1時間半も早く着いてしまったようです。

エレベーターで階下に降り、タウンホールのそばの暗い駐輪場でひとり
スピーチの練習をしていましたら
自転車を取りに来た人に「ワッ」と驚かれ、
すみませんと謝り、いざ会場へ向かいました。

会場ではほとんどの劇団が数人で参加しておりまして
僕はひとり武者震いのような貧乏ゆすりを刻み
柱の横の椅子に隠れるように座りました。
偉い人達の挨拶が始まり、僕は誰一人名前を覚えられませんでしたが
朗らかな式が始まりました。

乾杯の挨拶があり、今年も寿司とビールがあったので
迷わずビールを注ぎ、一息に飲み干しました。
そして各劇団の挨拶が始まりました。
フラフラと立ちながら挨拶を聞いてましたが
劇団風の子のあとに、ポニーズのスピーチがやってきました。
僕は演劇祭25周年おめでとうございますということと
参加させていただいてありがとうございますと言って
次のようなカンペを読みました。

 
奇しくも劇団風の子の後に、児童劇団を題材にした茶番劇団の紹介を
することになり、会場は温かく笑ってくれましたが
劇団風の子の方々がどう思われたかを考えて
なんだか目を合わせられませんでした。
会が終わって声をかけてくれた人が見に来てくれると言ってくれて
嬉しかったです。


2014年10月30日木曜日

メンバー活動状況

ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは
メンバーの活動には無関心で
純粋にこのブログだけを楽しんでる方にはご無沙汰しております。

自慢のトモダチが終わってからすぐに
林さんの母体でもある風煉ダンスにメンバー総出演しました。
もう次の舞台に移っているメンバーもいまして
結成3年、まだまだフレッシュな劇団です。

風煉ダンス「まつろわぬ民」は噂が噂を呼び
せんがわ劇場の動員記録を塗り替えるほど
大きな素晴らしいものになりました。
僕が初参加した頃もせんがわ劇場が狭いと思ってしまうほど
舞台をパンパンに埋め尽くした風煉ダンスしたが
今回も記録を塗り替えたんじゃないかってくらい
舞台をパンパンにしてバンバン散らかして
モニターで観てても震える舞台のエナジーに
僕は何度おしっこちびりそうになった事か。
きっとおしっこちびりそうになったお客さんもいたことでしょう。
後に残されたゴミと大豆とジャンプの恨めしさ!
残された劇場もぶっ壊す勢いで世の関心を集めながら
これからも多くの人を巻き込んでいくでしょう。
くれぐれも巻き込まれに注意してください。

メンバーの出演情報を更新しました。
がどうもブログの不具合で情報がアップできてません。
またお知らせしますので、今日はここまで。田

2014年9月16日火曜日

自慢のトモダチ終了

どうも。青山です。
「自慢のトモダチ」たくさんのご来場ありがとうございました。
といいつつも、やはり全日平日公演はご覧になれない方が多くて
、ちょっと残念でした。
観ていただいた方には、バカバカしい茶番を楽しんでいただけた
ようでメンバー一同大変嬉しく思います。
ポニーズの芝居はジワジワくるといろんな方に言われます。
その場では、くだらねーって言って笑ってみるんだけど、
よくよく考えると何かこう引っかかるものがあると。
笑って観たけど、実は笑えない何かを含んでたんじゃないか?
なんてことをジワジワと感じる。でも、それが何なのか、
バカバカしさに紛れて、さっぱり思い出せない。
なんてことを言われます。
嬉しいことです。
谷岡ヤスジのマンガみたいな芝居がしたいです。

2014年8月28日木曜日

言語化

ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは。
とんとご無沙汰してまして、楽しみにしてくれる方々にはほんとにすみません。
ちゃんと稽古を重ねる毎日ですのでお楽しみにっす。

セリフを言うのは楽しい。
これさえあれば生涯、役者を名乗っていいのだろう。

役者を始めた一番最初の時の話。
今はもうない劇団の稽古で、発声練習や肉練をして
体が温まったところでテキストを読むことになった。
誰かの前で台本を読む。
僕はすごく恥ずかしかった。
何が恥ずかしいって、普段絶対言わないようなことを
情感豊かにだったり、当然っすみたいな顔で言うということを、
僕が受け入れられないことが。
同時に変な喜びもあったんだけど、
それが演出家の意に沿うと、いいねいいねって褒められる。
そうなるとなんか嬉しくなる。
あ、もっと情感豊かにしようとか
空の青さを言葉に託して言ってみようとか
オマエのことほんとは後々おとしめる予定だけど、
今オマエの目にはかけがえのない存在に映るようにしようとか。
そんなことを延々繰り返しながら芝居を続け、
あいかわらずそれは楽しくもあり、
相反する恥ずかしいことの親友であり続ける。

テキストがある。
テキストはこのブログのように誰の目に見ても全く同じ情報として受け取ることができる。
それを人が発話するのが面白い。
声帯が違う。間が違う。解釈が違う。
同じテキストでも同じ言い方は存在しない。
僕はメソッドというものを受けたことがないから
全く同じになるやり方が存在するとは思っていない。
誰かの真似であっても、そのものではない。
だからなんなんだ、えっと、メソッドが前に出るのはお門違いで
人間が前に出てるのが好きです。
まあいいや。

そんで人がセリフを言う。
セリフを言う人を見ると、いろんな表情があり
状態があり、日常じゃないという嘘がある。
芝居はこんなふうに簡単にできていると思う。
というか僕が面白いと思うのは、このくらい単純なことなのだろうか。

最近キーボードで入力した文字を翻訳して
音声化するという機能を持ったアプリやサイトがある。
日本語を文字入力してハングルで音声化したり。
もちろん日本語化も。
そしてこれ、音声化のスピードや声の高さを調節したりはできるのだけど
どこまで読んでも機械的なのである。
今後開発が進み、より人間らしく発話してくれるようになるのだろう。
そうなればなるほどじゃあ僕らはどのように発話していくのだろうと考えた。
機械の持つ「一秒の間」と
人間の持つ「一秒の間」が永遠に違い続けるように
今のセリフ霧吹きで2,3回濡らしたみたいな言い方にしてみようって
なんかそういう、機械に出せない面白さを僕らはできるんじゃないかって。
田田田

2014年8月3日日曜日

9月の9日から!

ポニーズブログをご覧の皆様こんばんは。
さて次回公演、自慢のトモダチの稽古が始まります。
これは僕、田中の大学時代の稀有な体験談をもとにして作られます。
暗黒時代と称される僕の大学時代のことを思い出してみます。

母校は鹿児島にある工業大学で、授業中居眠りして目が覚めると
机に灰が軽く積もってるような野趣あふれるところでした。
そんな大学での一番の思い出は、原付の免許を初めてとって
ホンダのモトラっていう戦車みたいなバイクを買って
わーって乗り回していたことです。



あまりに嬉しくって、夏休みはバイクで島根に帰って
トモダチに見せびらかしちゃろうってことに勝手になりました。
そんで夏休みになって意気揚々と田舎に帰ります。
鹿児島から島根に行くには何度も峠越えをしなければいけないのですが
最初の峠である霧島神宮の手前でバイクが全く動かなくなりました。
ふもとから坂道を上ってきたので、ふたたびふもとの町までバイクで下りてって
バイク屋に行ったら、パーツがないので取り寄せに1週間かかると言われ、
バイクでの帰郷を断念しました。

しかし猛烈に田舎に帰りたい僕は、すぐさま自転車で帰ることにしました。
この自転車は変速ギアなしのママチャリで
数時間前に上り、そして下ったこの道をゼハーゼハーとまた上ります。
シャカリキって自転車レースの漫画があって僕大好きで
気分はそんな感じなんですけど、もうチャリがママのあれなんで。
山道とか上っちゃだめなんですよ、そんな自転車で。
僕は仁王みたいな形相で、動力がうまく伝わらないマシンにイライラしながら
霧島神宮行くまでに何度も何度も足つって、
何度も何度も帰りたいって思いました。ふもとの町に。
加えてこの日は台風が接近してて、霧島神宮越えたあたりから
猛烈な風が吹き始め、宮崎県に入ったころには洪水警報出てて、
全身も荷物もずぶ濡れて、心ポッキリ折れてホテルに泊まって寝ました。

次の日は台風が過ぎて酷暑になりました。
炎天下の宮崎をひたすら北上します。
知らない土地で食べるご飯はとてもおいしいものですが、
コンビニで買ったおにぎりのうまかったこと!
ガイド本で紹介されたおいしいものをたべることで
おいしいと満たされるのはもちろんですが、
健全に腹が減るとどんなごはんでもうまいんですね。
さてこの日の目的地は大分の別府です。
帰り道として僕が選んだのは
鹿児島→宮崎→大分→フェリー→広島→島根というルートです。
なので別府まで行きます。
この日はほんとに暑い日で、上半身裸で何百キロと走って、
まあ実際には100キロくらいですか。
そんで走ってる時には気づきもしませんでしたが、
日焼けして背中に軽度の火傷を負ってて
生涯消えることのないシミを作ってしまった上に
体が痛くて痛くて別府温泉に入ることができず
別府の水道水を体にかけまくって寝ました。

翌朝広島着の最初のフェリーに乗り込みます。
大人一枚、自転車一台の料金です。
フェリーって大部屋と個室があるのですが
とにかくもう背中が痛くて床に背中を着けないので
部屋にいることをやめて
展望デッキで九州とか四国とか山陽の遠景を眺めるわけです。
他力で移動することがこんなに楽なものなのかと
しばし回顧に耽っていました。
広島の港に着いて、広島は幼いころから何度もやってきていたので
自分の田舎でもないのに、帰ってきた感のすごいこと。
知らないおじさんも、昔会ったことがあるような親しみが感じられて、
実際は誰とも会話することなく、
広島駅そばのビジネスホテルで寝ました。

最終日。今日で島根に着く予定です。
中国山地をママチャリで越えるのかと思うと
毛髪が抜けるような心地でした。
自転車で帰郷し始めて、日に何度も後悔するのですが
この日の朝も例に漏れず後悔して、いよいよペダルをこぎ始めます。
僕は短距離走よりも長距離走のほうが得意だから
こんなことになってるのかと思いましたが
それとは全然関係のないところでゴールを目指しています。

親の仇みたいな形相でゼハーゼハーと
4、5時間走ったところ、島根と広島の県境くらいで
見覚えのある車が一台反対車線を走っていきました。
その車はUターンして僕の後ろにやってきて止まりました。
中から出てきたのはうちの親でした。
何してんの!って聞いたら、自転車で帰ってくるって聞いたから
なんとなく広島に向かってみたというのです。
そういえば親に自転車で帰ると伝えていましたが
まさか来るとは思ってませんでした。よく見つけたな。
渡りに船で僕は車に自転車を積み込んで、
乗り込んでそのまま車で帰りました。

結局最後まで自転車で帰ることはなかったのですが
そもそもフェリーに乗ってる時点で自力云々は崩壊してたので
お父さんお母さんありがとうの夏でした。