えー先日の祖師谷大蔵cafe MURIWUIの公演「ショートポニーズ4」をもって
劇団ポニーズ、年内の予定が全部終わりました。
ご来場いただいた皆様、絵空箱、cafeMURIWUIの皆様、メンバー、ゲスト、スタッフ
の皆様、今年も一年本当にありがとうございました。
来年もいくつかの公演が予定されています。どうぞお楽しみに。
さて、一年に渡ってお送りしてきました「ショートポニーズ」が終わったので
、メンバーの皆にショートポニーズ後記を書いてもらいました。
そんで僕のショートポニーズ後記なんですけど、勿体ぶって最後に書くなんて嫌らしい
と思いつつ、まぁ一応主宰だし、お許しください。
「なにアオケン劇団やってんの?」って聞かれると「はぁまぁやってます、
趣味って感じで」なんて答えてたんですけど、こんだけやるとどうも趣味というには
ちょっと無理があるというか、ただの趣味っていう感じじゃないからどう言ったらいい
んだろう?「はぁまぁやってます、本気の趣味って感じで」って言えば
伝わるでしょうか?
、、どうでもいいか。うーん、そうなんすよね、どうでもいいんですよね。
芝居は、まぁ芝居に限らず、あらゆる芸術とか言われてるものは別になくても
誰も困らないし、食べて寝てさえいれば死ぬまで生きていけるわけで、
それだと極端すぎてやっぱつまんないと思うんですけど、まぁなくても困らない。
しかしなんでそういうなくても困らないもんを必死になってやるんだろうか。
自分でやっといて、ハッキリとした答えってのがない。
人間の根源的な欲求?ただの暇つぶし?
歴史上あらゆる人達がいろいろ理由つけて説明しようと試みてるけど、どれも
はぁまぁそうですよね、、って言う程度の、まぁわかるけどさぁ、っていうもんで、
それだ!ってのがない。
答えがないから続けてる、なんていうのもありますね。
終いには、そんなこと考えてもしょうがないなんてこと言っちゃう人もいたりして
千差万別です。答えを見つけようとしてやってるわけでもないんですけど、
やっぱいつもなんでこんなことやってんだろ?って思いはグルグルしてるんで
色々考えるし、考えるのはオモシロい。
見つかったりする。
エウリピデスなりの答え(たぶん幻)やシェイクスピアなりの答え(たぶん幻)
があったろうし、チェーホフなりの答え(たぶん幻)もあったはず、
世阿弥も近松門左衛門も鶴屋南北も菊池寛も安部公房も寺山修司もつかこうへいも
別役実も三谷幸喜も宮藤官九郎も、当然ここに挙げていない人も含め、
すべての演劇人が、なくても誰も困らない舞台のオモシロさに惹かれて、
自分なりの答え(たぶん幻)を探したり、見つけたり、見つけたと思ったら幻だったり、
そんなことを一度しかない人生を費やしてやってて、全員バカでカッコいいなって
思います。
そんで先人達は、みんないろんな言葉を残してるわけです。
そういうの読んだり聞いたりすると、あぁなるほどねとか、うーんそうかなぁ?
とか思ったりするんですけど、もっとこう実感したいんですよね。
納得したいんじゃなくて実感したいっつー感じ。
自分でやってみた先にある(といいなと思ってる)、自分の答え(幻)みたいなのが
知りたい。
それが誰かの残した言葉と同じだったら、その人とは友達になれたかもなぁとか、
せいぜいその程度の思いしか残んないかもしんないですけど。
音楽家にもダンサーにも。
そう考えると、もう収集つかないんだけど、結局また芝居観にいって
あーでもないこーでもないってのを酒飲みながら話して、答えなんてないから
じゃあ自分で芝居作るかってなってやってみたりして、あーでもないこーでもないって
言われて、言ってる人の芝居観にいって、あーだこーだ言って、言ってるだけじゃ
つまんないから、また自分で芝居やってアーダコーダ言われて、そんなこと
(現在わかってるだけで)2500年くらい前から続けてて、もうだいたい
答えも大きく分けたら3つくらいなんじゃないかな〜?なんてことが
うっすらわかってても、大きく3つに分けてんじゃねーよ!もっとなんかあんだろ!
幻じゃねーっつーの!かなんか言って芝居作って、なんたらかんたら言ったり言われたり
してるって考えたら、分かり合えるわけないし、分かり合えないほうが幸せ。
なのかな?わかんね〜。
それでは最後に鶴屋南北さんの言葉をひとつ
「滑稽を好みて人を笑わすことを業とす」
おい南北!この野郎!至極カンケツにいいこと言いやがって!
もっといろいろあんだろー!けどほとんど同意します。
というわけで、今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
劇団ポニーズでした。
おしまい。