2015年2月1日日曜日

簡単なことが難しい

ポニーズブログをご覧のみなさまこんばんは

今回の本番に向けて行っている稽古は
今までにやってきたこととは全く違っています。
タブレットに書かれた台本が一つあるだけ。
役者はそれを見ることができません。
出演者が5人、主宰が1人いるのですが
タブレットの台本を読む人が
役を演じる人5人にそれぞれ口立てでセリフを与えて
役の人がそのセリフを繰り返します。

役者、演出家関係なく稽古して
「いきなりガンダーラ」の骨格だけをまずは共有しています。
なぜこのような稽古になっているかというといくつか理由はありまして
台本を与えると役者はセリフを覚えるのですが
セリフを覚えることで先の展開も予測して準備をしてしまう。
これは演劇界の99.999%ぐらいのセオリーなんですけど
役者の準備行為や、「セリフ」というものが
芝居を窮屈に見せているのではないか?
少なくとも僕たちは。

ということを去年末主宰が言いまして
それを解消するためのひとつの試みでやってます。
これは成果のほどが、やり遂げないと分からないので
いったいどうなることやら。というところから始まり
今ではメンバーそれぞれがこの稽古で
何かしらを抽出しながら取り組んでいます。
なので従来の稽古とは違い
役者の神経の置き方も様々あるように見えます。

活字を目で追わないことは状況に、より肉薄できて
稽古初期に台本を手に持って演じる事での
相手役の微細な表現の見逃しを減らしていると感じています。
台本が先にあることで相手のセリフを先読みしたり
展開を円滑にするために先に動いておいたり
リアクションを準備していたりと
こう文字で書いていると、そんな悪いことのように
思えないのですが、用意しておくことで視野が狭くなって
しまうことも事実であると思っています。

そもそも役者は人前でウソをついてお金をいただく存在ですが
ウソのつき方がもう無限にあって、こんな事が許されるのは
役者と一部の政治家だけなんじゃないかと思ったりしていまして
立場は違えど僕たちもなるべく
真面目に見えるようにウソをつきたいわけです。
朗らかに笑ってもらえるウソを。
ウソを身近に引き寄せるために
皮膚感覚で演じるために、こういう稽古になっています。

僕自身がポニーズの一番のファンなもので
稽古で新しいセリフを耳にするたび笑ってしまい
この稽古しながら笑ってしまってる感覚は
もうほんとに楽しいというか、幸せなところでもありますが
ちょっとこの無防備に笑ってる感覚を
もう少し研ぎ澄まして、内向的にしてみようと思います。

シルヴィギエムというダンサーが
ラヴェルのボレロという曲で振付をした動画を
ポニーズでよく見てて、演目にもしたことがあったのですが
ボレロの最後の方、演奏が重なってきて壮大に
音楽が膨らんでる頃に、ギエムもバッタンバッタンと
勇壮に踊っているところがあるんですけど
きっとあれは感情で踊っているのでなく
小さな暗いところで淡々と踊っているような気がするのです。
わかんないけど。

なんかそういう自分を切り離すことで成立するような感覚を
この公演で掴んでみたいと思います。
ポニーズの一番のファンでなくなってしまうのは残念ですが
そこに新しい喜びを見つけられたらいいです。
おいおい長げーな。田

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